作家の池澤夏樹さんが手がけた『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』(河出書房新社、全30巻)は、同じく池澤さんによる『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』(同、全30巻)と並ぶ、21世紀日本出版界の金字塔だと思う。すごいすごい、と思うばかりで、なかなか手にする機会がなかった者に突き付けられたのが、本書『作家と楽しむ古典 好色一代男 曾根崎心中 菅原伝授手習鑑 仮名手本忠臣蔵 春色梅児誉美』(同)だ。それぞれ古典作品の現代語訳を手がけた作家5人が、担当した作品と訳業について語った講演をまとめたものだ。これを読んで、全集を読んでみようと奮起するもよし、これだけ読んで江戸のベストセラーと三大浄瑠璃がわかった気になるもよし。たまには勉強だ。
どの作家に何を訳してもらうのか。池澤編集長のカンと読みは鋭い。『好色一代男』これは島田雅彦さん。文句ない人選だろう。ご本人も納得している。以前に現代語訳を手がけたのは、今は亡き吉行淳之介さんというから推して知るべし。『曾根崎心中』は、いとうせいこうさん。『菅原伝授手習鑑』は、三浦しをんさん。『仮名手本忠臣蔵』は、松井今朝子さん。『春色梅児誉美』は、島本理生さん。「現場の体験と具体的な知識がたっぷりあってこその訳業であり達成であるとわかった」と池澤さんが感心している中から、3人だけ紹介しよう。
まず島田さん。「女たらしの遍歴の物語」は、『源氏物語』以来の日本文学のメインストリーム、と張り切っている。『源氏』が五十四帖、『好色一代男』は五十四年間の話という点から、後者は前者のパロディとして構想されていると指摘する。さらに作者の井原西鶴は江戸時代前期、元禄の人。「エロ小説かつ経済小説」だと位置づける。主人公、世之介が生涯で交わった人数は女性が3742人、男性が725人。「読者がヘテロでもバイセクシャルでもゲイでもレズビアンでも楽しく読める」という。自慢話とともに愚行も描かれ、日本のような島国で共生してゆくための細やかさが読み取れる、と分析する。
訳業にあたっては「原文の分量を訳文が超えない」ようにするため、禁じ手のカタカナを使ったと明かす。ビジュアルを伝えるためだ。島田さんの計算によると、世之介が相続したのは現代に換算すると500億円。それをあらゆる快楽、道楽に乱費する。ばからしさの極致のような小説が江戸のベストセラーとなった。
次は『仮名手本忠臣蔵』を担当した松井今朝子さん。時代小説家に現代語訳を依頼するとは、と驚いたそうだ。「なぜなら時代小説の執筆と古典の現代語訳は逆方向を向いているから」だ。たとえば時代小説に出てくる「そなた」は、現代語訳に使えるか? 編集者の判断はアウト。松井さんは作家になる前、松竹で歌舞伎の仕事をしていた。そこで時代小説家であることを忘れ、歌舞伎の啓蒙書を手がけた顔でのぞんだと明かす。
さらに演出家の顔も使った。解釈が不明なところも少なくない。さまざまな文献や研究書も読み込んだ上で、作者自身になりきって訳出したところもあるという。
『仮名手本忠臣蔵』は、忠君愛国思想とも企業戦士のバイブルでもない「ヒューマンドラマ」だという。なんとなく我々がもっているイメージとはかけ離れた、愛情が基本の「芸能文学」と位置づける。最後に『春色梅児誉美』の島本理生さん。島本訳では登場人物の深川芸者のせりふの語尾に「じゃん」がつけられている。これは「東京方言」のつもりではなく「ギャル的な意味」で使ったという。さらに3人の女性キャラクターは、二階堂ふみ、上戸彩、渡辺麻友をそれぞれイメージして訳したそうだ。
本書は『作家と楽しむ古典』シリーズの第3弾。現在『全集』の方はすでに28巻が刊行され、残るは角田光代さんの『源氏物語 中』と『源氏物語 下』。これまでにも『源氏』の個人訳を手がけた作家、文豪はいるが、若い女性の支持が厚い角田さんが向き合っているとは。どんな『角田源氏』が完成するか期待したい。これは、作家の勉強ぶりがよくわかるシリーズだ。やはり全集の方も読まなければならないという気になった。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?